150周年記念動画









150周年動画をアップしました。








 

150周年文化祭 体育館ギャラリー

150周年校舎チャレンジ

150周年記念 石原小文化祭・内覧会


『150周年記念 石原小文化祭・内覧会』

大規模改修してきれいになった2号棟、築60年の懐かしい3号棟を見に来ませんか?

場所:石原小学校体育館
時間:13:00開会(受付12:30〜)/16:00閉会

《第1部》文化祭セレモニー
司会:田辺健全育成会長
●開会の言葉:校区連絡会/飯田副会長
●主催者あいさつ:校区連絡会/北田政男会長
●校長あいさつ:石原小学校/関根達郎校長
●PTA会長あいさつ:石原小学校/藤間PTA会長
●祝辞:市議会議員
●主催者紹介:校区連絡会・公民館長・事務局
●石原小の歴史:児童の動画から
●150周年式典報告:石原小学校/西田学校運営協議会委員
●校歌斉唱:動画
●閉会の言葉:校区連絡会/林副会長

《第2部》アトラクション
●くまぴよ隊演奏「石原小校歌」ほか4曲
●有梨&Comode『150周年ソング「僕らがつなぐ物語」』ほか5曲

《第3部》記念講演
●石原小にあるもの:石原公民館長/平井隆
●石原の歴史:熊谷市ボランティアガイド/米山実

◎校舎見学ツアー(13:40〜15:30)
◎展示(体育館)
 歴史写真・卒業アルバム・学校に残っているもの(作文、その他書物等)
◎記念DVD販売
◎記念ソングCD販売

主催:熊谷市立石原小学校区連絡会・熊谷市立石原小学校
後援:熊谷市立石原小学校PTA・いしわラッコ応援団「親友」・上石公民館・大原公民館・石原公民館
 

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150周年ニュース

150周年ニュース >> 記事詳細

2022/08/17

飯島澄堂先生の寄稿

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時のながれに                 飯島澄堂
 石原小学校開校150周年,寔におめでとうございます。私は現在94才です。昭和10年4月1年生に入学しました。学校は現在の場所で新築完成された校舎でした。西洋式でモダンな校舎で、それはそれは素晴らしい学校でした。
 昭和27年4月 熊谷市町名地番変更募集にて私が応募した『石原町』が当選し、石原小学校を中心にして今日の発展を見ています。
 石原小学校「校歌碑」が開校120周年記念として建立されるにあたり「歌碑」を揮毫する栄誉をあたえていただきました。次女が、5月16日生です。小学校6年間 誕生日は開校記念日と同じなので祝日でした。

 飯島澄堂先生は、本石町にお住いのもと熊谷市内の小学校教諭でした。石原小学校出身で、石原小学校で教鞭をとったこともあります。2号棟前の校歌碑の文字を書いていただきました。当時の来間校長が120周年記念として飯島先生に依頼したそうです。飯島先生は昔の石原小学校のこともよく知っています。石原小学校にとって重要な人物です。
 石原という地名のルーツも飯島先生が応募したそうです。今でも一番街で書道教室をやっているようです。



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お知らせ

写真で振り返る150周年

写真振り返る
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2022/05/14

航空写真の歴史

| by 校長

学校にある最古の航空写真がこれです。昭和40年頃と思われます。3号棟 木造校舎が3棟 音楽室 給食室 プールが見えます。まだ校地が現在に比べて北西が足りません。
人文字もシンプルに「石小」となっています。

昭和49年です。木造校舎が燃えて 2号棟が建ちました。校地が広くなり体育館も建っています。体育館の東にまだ音楽室が残っています。2号棟と3号棟の間の通路を建設しているところですね。人文字は「石原小」と「祝100年」

昭和60年 体育館の屋根が赤くなりました。1号棟が建っています。現在とほぼ同じ校舎です。音楽室が撤去されました。北門のところや2号棟 3号棟前にまだ桜の木がありません。
文字は白抜きで「石原小」となっています

平成4年 体育館の屋根が白くなりました。サブプールができました。3号棟が改修されました。
桜の木が植えられました。校庭は貯水槽となっています。周りをぐるりと芝生が囲んでいます。
人文字は少しカラフルな「校章」です。祝120周年 1993は校庭に書いてあります。

平成23年 体育館が新しくなりました。桜の木が大きくなっています。3号棟前は桜の花がきれいに見られます。
文字は「夢とデザイン」です。「祝 140 石」となっています。

令和元年 人文字は校章の「石」「虹と平成 令和」です。
いしわラッコや令和へ羽ばたけ 石原っ子 強く正しく睦ましく 校章の外側はデジタルです。

 さて150周年はどうなるでしょう?
23:01 | 投票する | 投票数(7)
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校訓書道展「強く」

校訓書道展「正しく」

校訓書道展「睦ましく」

石原小キャラクター完成

平成29年9月30日(土)運動会にて石原小のキャラクターが誕生しました。
名前は「いしわラッコ」です。よろしくお願いします。
 
 全校児童にデザインの募集をし、最終的にはいくつかのデザインを組み合わせました。体は石でできており、ラッコがベースのデザインです。大好物のホタテ貝は、防犯ベルになっています。笑っている「石」・「原」の漢字を両手に持っています。
 どうぞ、よろしくお願いします。
 

明治時代「90年のあゆみ」より

明治時代

昭和38年発行 「90年のあゆみ」より(新島秀一校長時代)

明治時代

誕生
 石原東小 石原西小 時代

 石原村の記録(武蔵国郡村誌)によると
 「1つは村の東方にあり、1つは真宗寺を仮用す 生徒 男 104人 女20人」

 東は松岩照れないの民家を仮校舎として 石原東学校 明治7年5月
 西は真宗寺の本堂を仮校舎として    石原西学校 明治6年12月21日

 が誕生したそうです。


 明治7年 石原村人口1031人 学齢児童 246人 そのうち50人が就学
      (小学校にかよえる年齢の児童は246人だが50人だけが実際に通っていた)

 明治10年の記録
      石原村人口1632人 就学児童100人  100分の40の就学率 
      未就学の児童もたくさんいた。

 明治22年 石原村 熊谷宿と合併 熊谷町となる 当時は熊谷宿との合併に反対 
      石原小学校が熊谷学校の分教場になる
 明治23年5月16日
      石原小学校の独立 石原地区民が請願 
      熊谷町外一か村組合立第2区石原尋常小学校 
      独立の日を開校記念日5月16日とする。

 明治27年10月 文部大臣 侯爵 西園寺公望 が学校視察 実筆の額寄贈 校長室に展示




 
 明治35年 石原尋常小学校 中央校舎 4月起工 10月16日落成

 明治37年 卒業生心得
      
       初代 田島辰五郎校長

 明治40年 小学校が6カ年となる。

 明治42年 校舎増築


教科書
   明治当初 民間の編集によるもの
   
   明治36年 国定教科書制度 当時の教科 修身(道徳)小学校読本(国語) 書き方手本(書写) 算術書(算数) 日本歴史(社会) 地理(社会) 小学毛筆画手本(図工)小学鉛筆画手本(図工)

大正時代
 
 大正5年 校舎増築 高等小学校が併設 農業科も設置 

 大正6年 学童保護会  就学困難な児童の援助する意図で設立
 
 大正8年 商業科の設置

 大正13年 身体検査実施

 大正14年 石原小学校保護者会発足 児童成績展覧会実施
      農業科廃止
      児童数増加で教室不足深刻化 校舎増築
昭和時代 昭和38年まで「90年あゆみ」より

 昭和2年 初代校長田島辰五郎誌の石碑が建てられる 在籍35年
      田島辰五郎先生謝恩会で石門を寄付

 昭和3年 手工室増築 職員室増築

 昭和8年 熊谷市市制施行 熊谷町立石原小学校→熊谷市立石原小学校へ

 昭和10年 新校舎設立 特別教室 5訓の森 唱歌室設立

 昭和16年 石原小学校→石原国民学校
 
      教科 国民科 理数科 体練科 芸能科 実業科
  
      平出大佐の揮毫額 一条実孝公爵の揮毫額

 昭和20年 熊谷西国民学校(熊谷西小学校)に教室を貸す 
      西小学校が空襲で焼けて分散8教室を貸す 2部授業実施 クラスを圧縮

      戦後 石原国民学校→石原小学校

 昭和22年 熊谷南小学校独立 荒川区児童200名を南小学校へ転籍
      給食実施

 昭和24年 給食調理室完成 

 昭和32年12月20日 普通教室の不足 特別教室皆無のために地区民の熱意と関係者の努力で
          3階建て普通教室9室の鉄筋コンクリートの校舎完成→現在の 3号棟

 昭和35年 初代プール竣工
      特殊学級(特別支援学級)設置

 昭和38年の学校「90年のあゆみ発行当時の学校」

      体育館用地の拡張 初代体育館のための用地拡張
  
      視聴覚施設の充実
      ホームラジオ3台 21インチテレビ1台 19インチテレビ5台 16ミリ映写機
      8ミリ映写機 幻灯機 紙芝居

      全校児童1544名 クラブ 読書 化学 器楽 家庭科 書写 歌唱 図工 体育

      JRC活動

      児童則(くらしのきまり)


 

フォトアルバム

作り替えられた校歌 (石原小学校→国民学校→小学校)

作り替えられた校歌 (石原小学校→国民学校→小学校)

 第2次世界大戦中 学校が国民学校になった時期がありました。校歌の制定は昭和3年で戦前ですが、国民学校になったとき 石原小学校と歌われていた部分の歌詞とメロディが書き換えられたそうです。これについても 学校沿革誌にでてきました。「いしわらしょがっこう♬」 が「 いしわらこくみがっこう♬ 」となっています。メロディは国民学校の方は最後が上がって士気の向上を図っていたようです。これは私の母も言っていました。(私の母親は石原小学校の卒業生でした。)かつて 私が教諭時代に石原小に勤めていたときに、平成3年の石原小誕生日集会で、集会委員会の児童と一緒に劇を作ったときにこの逸話を劇にしたことがありました。そのときの証拠が学校沿革誌に残っていました。
 
 
 

卒業生昭和55年度~令和2年度まで

卒業生昭和55年度~令和2年度まで
 

歴史年表



歴史年表
 

石原小学校児童数の変化

児童数の変化 明治31年から
 

思い出の写真

思いでの写真
2021/10/07

150周年 実行委員会(組織)を立ち上げます

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 石原小学校150周年に向けていろいろと準備を進めていく予定です。
PTA関係、親友関係、地域関係の方々、卒業生の方々などお世話になりたいと考えています。

 事業としては
 1 150周年の記念に 歴史を振り返り 歴史を知る。知らせる。
 2 区切りとしてお祝いをする。
 3 お祝いの準備をする中で児童が石原小学校や未来への夢や希望を持つ
 4 活動を通して、人と人がつながっていく。
 5 これからの石原小の発展につなげていく。

 といった内容を考えています。
 PTA会長さんと PTA本部から発信していきますのでご協力いただける方を募集します。よろしくお願いします。
08:02 | 投票する | 投票数(8) | コメント(0)
2021/09/24

思い出の写真 3号棟建築中 6人組

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 学校のHpに150周年に向けて写真を掲載していたところ情報を揚げてくださいました。
児童の夏休みの日記におじいちゃんに聞いて書いてあったのを 今日、児童本人が持ってきてくれました。


 今回はこれです。児童の祖父の方が学校のHPを見てくださっていて、この写真の中の後ろの右から2番目の子をみて「この子は友達ににている」と教えてもらったそうです。この写真の6人は3年3組の学級委員6人だったそうです。この6人のことが判明しました。なんだかかっこいい6人組で、配置も素敵な写真です。当時の担任の先生は今地元でお店をやっているようです。
13:07 | 投票する | 投票数(15) | コメント(0)