「た」 建物の よび名でついた 「文化町」
大正14年に熊谷町の中心繁華街が大火で焼失しました。焼けた街には当時遊郭、芸者置屋、カフェ等の水商売が集まっておりました。熊谷町は復興に当たり、区画整理と同時に熊谷の中心になる一般商店街にしようと計画しました。当時の斉藤町長の大英断で、芸者置屋はそのままに、遊郭は市街地外の新開地乙女町(後に伊勢崎町に町名変更)にカフェは石上寺の西の一郭に移転することに決めました。
石上寺の西に移転したカフェは、通りの両側にモルタル張り2階建ての長屋形式の店を造って入りました。当時とすればモダンな建物でした。その頃は従来にない新しいものには、文化包丁、文化コンロなど、頭に文化をつけて呼ぶのが流行っていました。そこで、この建物は文化長屋と呼び、後にこの地区は文化町と呼ぶようになりました。
